――私たちは「賢い個人」ではなく、「文化に乗った存在」である
19世紀、北極圏を目指したイギリスのフランクリン探検隊は、全員が遭難死しました。この事実を聞くと、つい「判断が甘かったのでは」「知識が足りなかったのでは」と考えがちです。しかし、彼らが滅びた理由は「頭が悪かったから」ではありません。同じ極限環境で生き抜いてきたイヌイットは、なぜ生存できたのか。それは、彼らがその場その場で天才的なひらめきを発揮したからではありません。先祖代々、何百年、何千年とかけて蓄積された膨大なノウハウ――すなわち「文化」を持っていたからです。
ジョセフ・ヘンリックは、本書でこの点を容赦なく突きつけます。実は、様々な実験データから見るとヒトという動物の「裸の知能」は、チンパンジーとそれほど大差がない。それでも私たちが圧倒的に賢く見えるのは、文化という集合知を脳にインストールして生きているからにすぎない、と。
ここで重要になるのが、「社会的学習」という概念です。ヒトは、「なぜそうするのか」を完全に理解していなくても、うまくいっている人を丸ごと真似する能力を持っています。理屈よりも先に模倣がある。これが、ヒトの進化を加速させてきた原動力でした。
そして本書の中でも、最もエキサイティングなのが次の主張です。
「文化が環境を変え、その環境が遺伝子を進化させた」
通常は、「遺伝子が脳を作り、脳が文化を生み出した」と考えます。しかしヘンリックは、その流れを大胆に反転させます。文化が先にあり、その文化に適応する形で、私たちの遺伝子や身体が変わっていったというのです。
この視点に立つと、「集団脳」という概念が一気に腑に落ちます。イノベーションを生むのは、天才の脳ではありません。集団の規模と、相互につながる密度。どれだけ多くの人が、どれだけ頻繁に知識をやり取りできるか。それこそが、文明の推進力なのです。
考えてみれば、私自身が本当に理解していることなど、驚くほど限られています。食料を一から作ることもできない。車がなぜ動くのかも、スマートフォンの中身も、ほとんど説明できません。それでも私は、当たり前の顔で日常を生きています。
なぜ可能なのか。
それは、私は「巨人の肩に乗っている」のではなく、数えきれないほどの小人たちが積み上げてきた文化の山の上に、そっと立たせてもらっているからです。この比喩ほど、本書の核心を言い当てたものはないでしょう。
ヘンリックの結論は明快です。ヒトとは、生物学的存在であると同時に、文化なしでは生きられない「文化的種(Cultural Species)」である。私たちの心理も、生理も、解剖学的特徴さえも、文化への適応として形作られてきた。
「自分で考えろ」「自立しろ」という言葉がもてはやされる時代だからこそ、本書は重要です。私たちは、孤立した賢い個人ではない。学び合い、真似し合い、つながることで初めて賢くなる存在なのだ。
この一冊は、私たちの人間観を確実に書き換えてくれます。
